!!特別企画!!連載コラム『別の銀河系から』
第三回『時がたてば砂の城は~「みずうみ」を見て思うこと』
garaxy(劇評家)
波が来れば崩れてしまう。そう思いながらも、なぜ誰しもが砂の城を作り上げようとするのだろうか。さらさらとこぼれ落ちていくようでいて、その手のひらにかすかな感触を残す砂。脳裏からこぼれ落ちていくようでいて、ふと心にかすかなとげを刺す、遠い記憶。「みずうみ」は、甘く切ない少年の頃の郷愁と、鋭く小さな痛みを持った物語である。
一人の男を軸に、太陽と月、光と陰のように浮かび上がる女達。愛憎劇とよぶべきかもしれず、どろどろとしたメロドラマとみることもできるだろう。しかし、私たちがふと自分の記憶に立ち返ったとき、何かが一瞬、小さな痛みを残してよぎっていくことはないだろうか。アダムがリリスを捨てたように、成長するにつれて、私たちのなかからこぼれ落ちていくもの。アダムがイブを得て、甘い禁断の実を食べたように、成長するにつれて知っていく、公然の秘密。一人の男=トキオは、こぼれ落ちるものをつかもうとしながら、けれどその秘密の中に身を置くという矛盾の中で、指の間からこぼれ落ちる砂をただみつめているのだろう。
無垢なまま生きていくことは難しいが、無垢なまま生きていこうとする思いを持つ人がいる。傷を常に感じながら生きていく人は少ないが、その痛みに常に身をさらしながら生きていく人がいる。それも矛盾である。リリスとしての女=ツキヨ/ヒナコは、トキオとは違う矛盾の中に生きる存在である。
崩れると知りながらも創り上げ、楽園を追われると知りながらも甘い実を口にする。繰り返され、織り上げられる、そんな普遍的な営みの象徴が砂の城であり、「みずうみ」のもつ風景なのだろう。そしてそれは観る者の心の中の、かすかな痛みを甘く痛々しくも呼び起こさせるものである。
砂の城が崩れるときは密やかである。密やかに、けれど一瞬でそれはかき消されていく。